今日は、イスラム教の断食開けの食事をごちそうになって来た。
現在は、イスラム教徒が断食を行う月、ラマダーンの真っ最中だ。
今年は、6月28日からの30日間が、ラマダーンにあたる。
昔、1ヶ月間断食を行う、と聞いた時、
『ムスリム(イスラム教徒)は皆、光合成でも行っているんだろうか?』
と疑問に思った。
が、断食と言っても、1日中何も食べないわけではないらしい。
ラマダーン期間中の断食は、日の出から日没までだ。
つまり、日が落ちてしまえば、飲み食いし放題ということになる。
で、日没後の食事のことを、イフタールというらしいのだが、このイフタールを無償で提供している所がある。
それも、イスラム教徒でなくても、中に入って無料で食事をすることが出来る。
僕の住んでる近所で、イフタールを無償提供している所があったので、そこにお邪魔して来てみた。
今回出て来たのは、ご飯とインド風のかしわの煮付けのようなものだった。
大皿にご飯を大盛り盛って(1日何も食べてないからだろう。ご飯の量が尋常じゃない、、僕は昼飯を腹一杯食べていたので、吐きそうになりながらなんとか食べきった。。)、その上にかしわの煮付けをぶっかけただけの、非常にシンプルなものだ。
が、これが中々美味い。
カレー味の料理に飽き、毎日フライドライスを食べ続け、それにも飽きて来た頃だったので、非常に美味しく感じられた。
僕は今回、初めてイフタールをごちそうになったが、同じく近所に住んでいるタイ人の友人は、ほぼ毎日食べに行ってるらしい。
今まで、マトン料理や、らくだ料理までごちそうになったそうだ。
そんなものまで、無料で頂けるとは、これも慈悲深いアッラーのおかげだな。
イスラム教と聞くと、日本人は、何か怖い宗教なのだというイメージを持っている人が多い。
そんな宗教の中で崇められているアッラーは、きっと恐ろしい神なのではないか、と思ってる人もいるかもしれない。
が、アッラーは非常に慈悲深い神なのだ。
たまに、戒律を破って酒を飲んでいるムスリムがいるが、それも彼らに言わせると、
「慈悲深いアッラーは許してくれるさ。」
ということらしい。
イスラム教は、非常に厳格で怖い宗教のようなイメージがするが、実は結構寛容な宗教なのだ。
ではなぜ、日本人の多くは、イスラム教に対して、怖いというイメージを持っているのだろうか?
これもやはり、メディアによるイメージ構築が、大きな要因となっているだろう。
ざっくりと言うと、世界にはイスラム教と、キリスト教の対立がある。
で、僕たち日本の兄貴分であるアメリカ様は、キリスト教側だ。
なので僕たちは常に、キリスト教側の言い分を聞いていることになる。
まあ例えてみるとこんな感じだろうか。
ある所に、父と母と幼い子供の家族があったとする。
誠実で優しい父の下、家族は幸せに暮らしていた。
が、ある日、ちょっとした成り行きで、父が一度だけ浮気をしてしまった。
そしてそれが、母にバレてしまった。
母は、怒りのあまり、離婚を申し立てた。
離婚が成立し、幼い子供は、母が引き取ることになった。
母は、一時的な感情で離婚をしてしまったことを、後悔している。
が、自分から言い出した以上、離婚を正当化しなければならない。
そこで、物心つく前に父をなくしてしまった子供に対して、
「あなたの父はこんな悪人だったのだ。」
ということを吹き込んで行くことになる。
人生で一度しか浮気をしていない父のことを、
「あの人は何度も何度も浮気を繰り返し、私を傷つけた。」
と吹き込んで行く。
しまいには、例えば父が九州の男だったとしたら、
「九州の男は、皆悪い奴しかいない。」
と言って聞かせるようになる。
そうした教育を受け、出来上がった子供の中の、父や、九州の男に対するイメージ、それが日本人の持っているイスラム教に対するイメージのようなものだろう。
なのでまあ、話半分以下に聞いておく方が、より真実に近いかもしれない。
『イスラム教=テロリスト集団』というイメージは、『日本人=地下鉄にサリンを撒く民族』というくらい極端なイメージだろう。
あれはあくまでも、ごく一部の過激派集団が行っていることであって、イスラム教徒が皆あんなことをするわけでは、もちろんない。
ただ、やたらと不良っぽいムスリムが多い、という部分は多少気になる。
あれは一体なぜなんだろうか?
アッラーが慈悲深過ぎて、グレてしまったのだろうか、、?
そういう点では、慈悲深きアッラーよ、もう少ししっかりとしつけをしておいた方がよかったのではないだろうか。。
なんて、食事をごちそうになっておきながら、文句言うのもよくないな。
またいつかごちそうになりに行きます。