前回、うちの学校にいる日本人は旅人が多い、という話を書いた。
僕が今通っているバンガロールの英語学校は、主にイスラム圏の生徒が多い。
で、イスラム圏の生徒達は、半年とか、割と長期間しっかりと英語を勉強しにくる。
しかし、日本人は1ヶ月だけ、という人が多い。
「なんで日本人はそんなにすぐに学校を辞めてしまうんだ?」
と聞かれたこともあるが、理由は簡単だ。
日本人の生徒は、旅人ばかりだからだ。
これから1年間くらい世界を旅する。
その前に英語力を身につけたい、と思って学校に通っている人達が多い。
次の目的地が決まっている旅人達は、一つの所にそんなに長居出来ないのだ。
で、今まさに世界一周中の旅人がいる。
彼は、大学を休学して1年間くらいかけて世界一周中だ。
僕が、世界とか、旅とかに興味を持ったのは、もう20代半ばくらいになってからだ。
それまでは、全く海外に興味なかった。
高校の修学旅行で中国に行ったが、それ以降はもう海外に行くことはないだろう、と思い、パスポートを更新せずに期限切れにしてしまったくらいだ。
一方、その世界一周中の大学生は、中学生の頃から、世界一周の旅をする、と決意していたそうだ。
そんな彼は、世界一周について、こう語った。
「僕が中学生の頃は、世界一周ってほとんど誰もやったことのないすごいことだった。
少なくとも、自分の周りにはそんなことやったことのある人なんていなかった。
でも、なんか最近、世界一周って当たり前になって来てるから、なんかありがたみ無くなって来たんすよね。」
確かにそうだ。
彼が中学生の頃といえば、今から7~8年前くらいだ。
その頃、世界一周したことある人なんて、出会ったことなかった。
しかし、今となってはそんなに珍しい体験ではない。
世界一周したことある人、今まさにやってますって人、合わせると、僕が直接会って喋ったことある人だけでも、20人くらいはいる。
僕の周りだけでもそれだけいるんだから、もはや世界一周という体験は、珍しくなくなってしまったのは事実だ。
では、これから先、世界一周という経験は、どんどん価値が薄れていってしまうのか?
というと、僕はそうではないと思う。
恐らくこれから30年後には、世界一周という経験は、再び珍しいものになってくるのではないか、と僕は考えている。
そう思う理由は二つ。
一つは資金面。
今、日本人であれば、1~2年仕事をして貯金すれば、1年間くらい掛けて世界一周するのに必要なだけの資金を貯めることが出来る。
頑張れば、半年でも十分に貯めることは可能だ。
しかし、こんな夢のような状況が、いつまで続くだろうか。
僕たちが今、1年くらい貯めたお金で、1年くらいかけて世界一周出来るのは、日本よりも格段に物価の安い国がたくさんあるからだ。
だから、世界一周という、ものすごく贅沢なことをしているようでも、意外と日本で普通に生活するよりも金が掛からないのだ。
その価格差があるから、日本人は今、こんなに簡単に世界一周することが出来てる。
しかし、僕が今いるインドを含めて、多くの国が今、急速に発展して来ている。
それに伴い、どんどん物価が上がっていってる。
その一方で、日本の経済は全く発展していない。
むしろ縮小しているように感じる。
今はまだ、縮小しているように感じる程度だが、これから50年後には人口が3分の2程度になる、と言われてるくらいなので、今後は確実に縮小に向かっていく。
なので、これから急速に、日本と物価の安い国の格差は縮まっていくだろう。
そうなると、今のように1~2年ちょっと働いたくらいで、世界一周の資金を貯められるなんて、そんな夢のような話はなくなってしまうだろう。
もう一つは、行動力の面。
ここ5年くらいで、世界一周経験者が急速に増えたのは、インターネットの発達による所がかなり大きい。
今まで、世界一周に関する情報など、ほとんど出回っていなかった。
そもそも、10年以上前の世界一周のイメージといえば、豪華クルーズ船に乗って、500万以上掛けて行くものだ、というものだった。
しかし、インターネットが発達して、世界一周のイメージもがらっと変わった。
滞在する国や、ルートをちゃんと考えれば、実は100万くらいあれば、十分に世界一周出来るということが分かって来た。
さらに、世界一周経験者達が、ネットで自分の経験を発信することにより、今まで情報がなく、怖くて行けなかったような所にも、簡単に行けるようになった。
ここ5年くらいで、世界一周経験者が急激に増えたのは、まさにインターネットのおかげだといえる。
しかし、今はまだ、インターネットの存在が、世界一周経験者を増加させる方に作用しているが、これもいつまで続くか分からない。
なぜなら、人は外からの情報がどんどん入ってくるようになったら、逆に内に籠るようになってしまう習性があるからだ。
今、多くの旅人達が、世界各地の絶景で撮った写真なんかをアップしている。
そんな写真を何枚かみせられると、
『あんな奇麗な所に、自分も行ってみたいな。』
と思うようになる。
しかしそれが、何千枚、何万枚とみせられると、もうそこに行った気になってしまう。
『エアコンの効いた部屋の中で、マウスをカチカチとクリックするだけで、行った気分になれるのであれば、わざわざ苦労して現地に行く必要はない』
多くの人は、そう考えるようになるだろう。
インターネット上に、世界一周の情報が溢れれば溢れる程、実際に世界一周という行動を起こそうという人は少なくなっていくのではないか、と僕は考える。
だから、30年後の日本では、世界一周という経験は、逆に貴重なものになっていくのではないだろうか。
「ええっ?!世界一周??
よくそんな金持ってたな?!」
「ええっ!?
1~2年貯めただけで世界一周出来たの??
そんな時代あったんだ??」
「世界一周?!
お前よくそんな行動力あったな!?」
そんなこと言われる時代が、30年後には来るかもしれない。