今日は、ネットで知り合った日本語が出来るインド人と、初めて会う日だ。
その方とは、以前紹介したことのあるSNS『Lang8』を通じて知り合った。

『Lang8』とは、学習中の言語で日記を書くと、その言語のネイティヴスピーカーが、日記を添削してくれる、というSNSだ。
僕がつたない英語で、インドのことを日記に書いた所、その方が添削してくれて、知り合うことが出来た。

その方は、日本語とサンスクリット語の教師をやっている、インド人マダムだった。
そのマダムの日記を読むと、インドの文化や、アーユルヴェーダ等について、日本語で書かれていた。

『これは中々面白そうな人だぞ!』
僕はそう思い、そのマダムにメッセージを送ってみた。
すると、そのマダムは、ムンバイに住んでいるということが分かった。

僕はその1ヶ月後、ちょうどムンバイを旅する予定だったので、
『もしよろしければムンバイでお会いしましょう。』
とメッセージを送った所、快くオッケーをしてくれた。

そんなわけで今日は、朝6時の列車に乗って、アウランガーバードからムンバイへ向かう予定だった。

僕はセットしていた目覚ましの時間通り、朝5時半に目を覚ました。
僕が泊まっているホテルから駅までは、歩いて3分程度だった。

『起きて5分で準備出来るから、まだあと10分は寝れる。』
ここ2日間、夜行バスでの移動や、恐怖の南京虫ベッド等で、ほとんど寝れていなかったので、僕は10分後に目覚ましをセットし直して、また眠りについた。

僕は、夢の中で急に胸騒ぎがして、パッと目を覚ました。
僕は急いで時計を確認した。

『6時50分、、、、し、しまった。。
寝過ごしてしまった。。』
僕は大急ぎで荷物をまとめて、駅へ走った。

インドの列車はよく遅れる。
待つ時はイライラするが、こういう時は逆にそれがたくましく感じる。

『きっと今日だって、いい具合に遅れてくれているに違いない!』

そう思いながら、僕は駅へ急いだ。
僕は、駅に着くなり係員に、僕の乗る予定だった列車は、遅延していないか尋ねてみた。

すると、その列車はもうすでに出てしまっていた。

『ま、、まじか、、。
やばい、、どうしよう、、。(汗)』

僕は焦りながら、係員に尋ねた。

「出来るだけ早くムンバイに行くにはどうしたらいい?」

「それなら7時35分の列車に乗って『MANMAD』まで行って、ムンバイ行きの列車に乗り換えるんだな。」
そう言われたように、僕は解釈した。

正直、僕の英語はまだまだ未熟なので、本当に係員がそう言ったのかは分からなかった。
が、その列車の発車時刻まで、もうそんなに時間がない。
僕は、自分のリスニング力が正しいことを信じて、その解釈通りに切符を買った。

切符の値段は25ルピー(50円しないくらい)。
ジェネラルシートという、最も安いシートだ。

僕は、初めてインドに来た翌日に、一度だけジェネラルシートに乗ったことがあった。
その時の衝撃は、今でも鮮明に覚えている。

網棚に人は寝てるわ、地べたに人は座ってるわ、挙げ句の果てには、人が座っている座席の下に潜り込んで寝ている人さえいた。(日本人からしたら、想像するのも難しいかもしれないが、席に座っている自分の右脚と左脚の間に人が寝てるのだ)

『またあんな所に行くのか、、、。』
僕は少し憂鬱になった。
が、寝坊して乗り遅れてしまったのだから仕方がない。

僕は、買った切符をその辺のインド人に見せながら、
「このシートに座るには、どの車両に乗ればいい?」
と尋ねた。

すると、インド人の好青年が、
「俺もそこに行くからついてこい。」
と言って、連れて行ってくれた。

恐怖のジェネラルシートの車両に乗り込むと、なんと中はガラガラで、超快適だった。
10人くらい座れる所に、僕とインド人の好青年、それから若いインド人の男の子2人組の4人だけだった。

インド人の好青年と、その若い男の子2人組は、すぐに打ち解け合って、話し始めた。
彼ら2人は、僕たちの方にやって来て、弁当箱を広げ始めた。(弁当筒と言った方がいいかもしれないが)

中には、カレーとチャパティが入っていた。
彼らは、僕に対しても、
「ほらどうぞどうぞ、食べて食べて!」
と言って来た。

聞くと、ここからムンバイまで、8時間くらいの長丁場になるということだったので、僕はお言葉に甘えて、それを頂くことにした。

インドではこのように、全くの初対面の人達と、食べ物等を分け合うことが珍しくない。
すっかりインドに慣れてしまっていたので、あまり違和感なく対応出来るが、よく考えると、日本じゃ中々あり得ないことだよな~、と思う。

(ちなみに、薬などを入れた、いかがわしい飲食物を勧めて来るインド人も中にはいるので、注意も必要だ。これは、インドの列車の中に注意書きとしても書かれていること。つまり、インド人の多くも被害に合っているということだ。)

若い男の子2人組のうち一人は英語が出来たので、僕たちは色々と情報交換をした。
聞くと、彼らもムンバイに行く所らしく、これからは彼らについていけばいいことが分かった。

一方、もう一人の若い子は、全くもって英語が出来なかった。
全くもってというのは、大げさな表現ではなく、
「Are you a student?」
は愚か、
「How are you?」
すらまともに通じない。

『yes』、『no』意外は何も通じない、と言っても過言ではないくらい、全く英語がダメだった。
にも拘らず、電話番号を交換して来る辺りは、さすがインド人だ。
(実際、彼と別れた後、電話がかかって来たので出てみたが、何一つ会話が通じず、30秒くらいで通話が終ってしまった)

英語が全くダメな彼は、『ワシム』と名乗った。
ワシムは、あごひげボーボーの大学生だが、やたらとキラキラした、動物のような愛くるしい瞳で僕をみつめて来る。

そして、やたらと僕に食べ物をおススメして来る。
会話は全く通じないが、とりあえずいい奴なんだろう、ということだけは伝わって来た。

列車は『MANMAD』に着いた。
僕らは列車を降り、ムンバイ行きの切符を買うため、切符売り場を探した。

プラットフォームでキョロキョロしながら、切符売り場を探している時、ワシムが急に僕の手を握りしめて来た。
指と指を絡ませるようにして、しっかりと手を繋いで来た。

僕は以前、旅人のバイブルと呼ばれる、『地球の歩き方』というガイドブックの中で読んだことがある。
『インドでは男性同士、手を繋いで歩いている姿を目にすることがあるが、深い意味はない』

僕は、インドで生活して来たこの3ヶ月間で、その光景を何度も目にして来た。
だから、『地球の歩き方』の言葉を信じることが出来ていた。

が、インドに来てすぐにこれをされていたら、恐らくパニックになっていただろう。

『深い意味はない』
なんて言葉、とても信じることが出来なかっただろう。

『インドで3ヶ月間修行したことは、無駄じゃなかった。
俺、この3ヶ月間で、確実に強くなってるよ。。色んな意味で。。』
僕はそう思った。
(が、やたらとキラキラした、動物のような愛くるしい瞳で僕をみつめるワシムを見て、多少なりとも『深い意味』を疑ってしまったのも、また事実だ)

僕たちは、切符売り場を見つけ、ムンバイ行きのジェネラルシートの切符を購入した。
ムンバイ行きの列車は、11時過ぎに来るらしいことが分かり、僕たちは暫く待った。

11時過ぎ、やって来た列車を見て、僕は愕然となった。
乗車率140%。

ジェネラルシートには、溢れ返る程の人、人、人。
車両に入りきらずに、ドアから足を出して座ってる人もいる。

僕らは、なんとかかんとか乗り込んだものの、もちろん席などない。

『ムンバイまでの4時間、立ちっぱなしか、、。』
と、思っていたら、ワシムが、
『こっちこっち。』
と手招きして来た。

完全に地べただったが、座れる所を確保して来たらしい。
僕はワシムとともに、地べたに座り込んだ。

3ヶ月前、列車の地べたに座るインド人達を見て、その光景に衝撃を受けていたが、今ではすっかり慣れてしまい、自分も座る側になってしまっていた。

『ああ、やっぱ俺、強くなってるわ。。色んな意味で。。』

これを進化と言っていいのか、退化と言っていいのか分からないが、僕は3ヶ月間での自分の変化を実感した。

列車は15時頃、ムンバイの『KALYAN』という駅に着いた。
インドの若い子2人組は、その駅で降りていった。

僕は彼らに別れを告げ、次の駅に向かった。
インド人マダムが住むのは、『KALYAN』の次の駅、『THANE』という駅だ。

僕は、インド人マダムに、
「もうすぐ着きます。」
と連絡を入れた。

インド人マダムは、『THANE』駅に迎えに来てくれるそうだ。
20分程して、列車は『THANE』駅に到着。

いよいよ、ムンバイで日本語とサンスクリット語を教えるインド人マダムに初対面!
一体どんな人なんだろう、、?!