今週は、インドの某有名ブレイクダンスチームの練習に、参加して来た。
そのチームは、インド国内で様々な賞を獲得し、インド代表として世界大会なんかにも出ているようなチームだ。
なんと、そんなチームのスタジオが、僕の住んでいる所から、歩いて行ける所にあった。
これはぜひ一度会ってみたい。
ということで、スタジオに遊びに行ってみた。
実は僕がこのチームの存在を知ったのは、ごく最近ではない。
2ヶ月前くらいから、その存在を知り、一緒に練習してみたいと思っていた。
が、この2ヶ月間、行くのをずっとためらっていた。
なんせ僕は、もう7年間まともにダンスを練習してない。
ダンサーを引退して、1年間はまだ、本気を出せば現役時代の90%の力は出せる自信があった。
引退して2年目でもまだ、なんとかダンサーとしての形は保てていた。
が、引退して3年を過ぎると、身体が明らかに、がくっと弱くなったのを感じるようになった。
あれからさらに4年。
もはや、完全にダンサーとは言えない身体になってしまっていた。
しかもこの7年間、ダンスは愚か、まともに運動すらやってない。
さらに、旅中は1日1食しか食べないこととかもあるので、身体はもうひょろひょろだ。
ダンサー、スポーツマン、というポジションから、運動不足、ひ弱、というポジションまで落ちてしまった。
さすがにそんな状態で、インドを代表するダンサーの練習に参加する勇気はなかった。
なのでここ1ヶ月間、フィットネスジムに通い、密かにトレーニングをしていたのだ。
(誰に対して密かにかは分からないが、、、)
トレーニングを開始した当初は、自分の非力さに愕然とした。
バリバリトレーニングをしていた7年前の、半分の重量も挙げられなくなっていたのだ。
『う、うそ、、、こんなに衰えるもんなのか、、?!』
僕は自分が情けなくなった。
『このままではダメだ!』
僕はそう思い直し、ジムが開いてる日は、ほとんど毎日のようにトレーニングをしに通った。
トレーニングをし始めると、意外と速く効果が出て来た。
一度建てたビルと同じものを、再び建てるのは簡単なのと同じように、一度鍛えたレベルまでまた鍛え直すのも、初めて鍛えるのに比べれば簡単なのだろう。
また、以前スポーツ科学とか勉強していたので、鍛え方が分かっていたということもある。
1ヶ月前思っていたよりも、意外と身体の動きは戻って来た。
とは言え、現役時代からすると、完全に頼りない動きではあるが、まあ1ヶ月にしては上出来だ。
さて、そんなことしてる間に、僕がバンガロールにいられる期間も、1週間を切ってしまった。
そんなわけで今週、満を持して、インドの某有名ブレイクダンスチームの練習に参加して来たわけだ。
しかし、最近は本当に便利な時代になったものだ。
僕は2ヶ月前、
『いたらいいな~。』
という軽い気持ちで、バンガロールにブレイクダンスチームはいないか調べてみた。
すると、そのチームの情報が出て来たわけだ。
で、色々調べていくと、そのチームのメンバーとコンタクトを取る方法も見つかった。
で、
『一緒に練習させて下さい。』
とメッセージを送ったら、
『OK』
と返って来たわけだ。
こんなに簡単に、インドを代表するようなチームの練習に参加出来るのだから、本当にいい時代になったものだ。
さて、そんなこんなで、彼らのスタジオにやって来た。
彼らは、平日の14時から18時くらいまで、ほぼ毎日このスタジオで練習しているらしい。
ていうかまず、スタジオを持ってるって所が、僕らとは待遇が違う。
僕らはいつも、店や図書館などが閉まった後、22時頃からこそこそとゴキブリのようにやって来て、練習をしていた。
ストリートダンサーなんて、ほとんどが学生やフリーターなので、あまり金を持っていない。
日本でスタジオを借りようと思うと、結構な金額になる。
日々の練習に、そんなお金を掛けていられない。
なので、日本のストリートダンサーは、文字通りストリートで踊っていることが多い。
そんな僕らからすると、スタジオで踊れるなんて、プロのように思えてしまう。
さあ、いよいよ練習が始まった。
僕は予め、そのチームの動画をYouTubeで観ておいた。
彼らが踊り始めると、
『おお、この動き、YouTubeで観たことあるぞ!!』
という光景が見られ、ちょっとした感動があった。
彼らのチームは全部で15人いるらしい。
メンバーの中には学生もいるし、ダンスの先生をやっている人もいる。
その中の1人は今、ドバイでダンスを教えているらしい。
っていうか、ドバイにもB-BOYがいるのにちょっと感動。
あ、ちなみにB-BOYというのは、ブレイクダンサーのことだ。
B-BOYのBは、BREAKのBだ。
日本では、B-BOYとかB系とか言うと、ヒップホップっぽい格好をしている人のことを指すことが多いが、元々はB-BOYとはブレイクダンサーのことなのだ。
ちなみに、いわゆるB系っぽい格好をしているブレイクダンサーはあまりいない。
あれはどちらかというと、ラッパーとかレゲエダンサーっぽい格好と言えるので、ああいう格好はR系と呼んでほしいものだ。
話が横道にそれてしまったが、僕が参加した日は、メンバーのうち10人くらいが練習に参加していた。
メンバーは恐らくだが、皆20歳前後くらいの感じだった。
その中で1人、明らかに上手い子がいた。
彼は今年、インド代表として台湾で行われた大会に参加して来たらしい。
『うん。
今の状態だったら、この子には確実に勝てないな。』
と僕は思った。
が、見たところ、他のメンバーのうち過半数は、まだダンスを始めて2年以内くらいの、初心者のような感じだった。
僕に、技のやり方を聞きに来た子もいた。
『多少控えめに見積もったとしても、あの一番上手い子以外には、今の状態でも勝てそうだよな。。』
それが正直な僕の感想だった。
インド国内のブレイクダンスのレベルは、まだまだ発展途上のようだ。
僕が引退した後も、まだバリバリ現役を貫いている、うちのチームのメンバーがインドに来れば、たちまちのうちに有名になれるだろうな。
猫ひろし方式で、インド国内の予選を勝ち上がって、インド代表として世界大会に出ようと思えば、かなりの確率でいけそうだ。
が、そんなこと言ってられるのも、あと4年くらいだろう。
恐らく4年後くらいには、インド国内のレベルも、とんでもなく上がってるはずだ。
というのも、ブレイクダンサー達は、恐ろしい速さで進化していくからだ。
ブレイクダンスは、1970年代後半に、アメリカで生まれたダンスだ。
日本にブレイクダンスが入って来たのは、1980年代。
と、かなり新しいダンスなので、今も激しい進化の真っ最中なのだ。
僕がブレイクダンスを始めた2001年頃も、まさにブレイクダンス界全体が、ガンガン進化していた時だった。
僕はよく、ブレイクダンス界の進化は、携帯電話の進化と似ている、と思っていた。
僕らが中学校の頃は、ポケベルとかPHSの時代だった。
僕らが高校1年くらいの頃から、皆白黒の携帯を持ち始めた。
それがすぐにカラーに進化した。
当時は、携帯の音質の良さを、何和音という単位で語っていたのだが、数年でそんな単位を使わないくらいに、音質も良くなった。
僕らは、携帯電話が進化していく様を、肌で感じた世代だ。
そして、僕は同じように、ブレイクダンス界が進化していく様を、肌で感じていた。
僕は、10代後半から20代前半に掛けて、ものすごくブレイクダンスにのめり込んだ。
寝ても覚めても、ブレイクダンスのことばかり考えていた。
で、結局今、ブレイクダンサーではなくなってしまったわけだが、ブレイクダンスで得たものは、未だに人生で活かされていると思っている。
僕が、ブレイクダンスをやって学んだ最大のこととは、『人間は可能性の限界を突破出来る』ということだ。
僕たちは練習中に、
「こんな技出来ないかな~。」
と、頭の中の妄想で創り上げた技を語り合っては、
「いや、そんな技出来たら人間じゃね~よ!」
と、突っ込んでいた。
がそんな、人間には不可能だと思われていたことを、1年後に世界大会で誰かがやってしまうのだ。
その人間離れした技に、世界のブレイクダンサー達は驚愕する。
が、その1年後には、世界のトップのB-BOY達は、当たり前のようにそれをやり始める。
日本人でも、1人、2人、同じ技が出来る人が出てくる。
2年後には、日本のトップレベルの人達は、当たり前のようにそれをやり始める。
そのうち、僕らのような地方の大会でも、1人、2人、同じ技が出来る人が出て来る。
そして3年後には、その辺の駅で踊っている名もないB-BOYが、その人間離れした技を平然とやっているのだ。
そういった光景を、何度も見て来た。
一体なぜ、こんな現象が起こるのだろうか?
それは、多くの人達は、
『これは自分には不可能だ』
と、勝手に思い込んでいるからだ。
勝手に、自分で限界点を決めてしまっている。
だから、それに挑戦しようともしない。
が、誰か1人でも、それをやってみせると、
『あ、これ人間に可能なことだったんだ!』
と気づく。
そうすると、それが出来るようになるため、練習する人達が出て来る。
で、練習すると、案外出来ちゃうのだ。
こうして、ブレイクダンス界は、人間の可能性の限界をどんどん広げながら、急速に進化していった。
そして、その進化がさらに加速し始めたのが、2005年辺りからだ。
2005年に何が起こったのか?
それは、YouTubeの登場だ。
それまでは、人間離れしたムーブを観ようと思ったら、実際にブレイクダンスの大会を観に行くか、世界大会などの大きな大会のDVDを買ってみるしか、あまり方法がなかった。
が、世界中の誰もが、動画を投稿出来るようになって、世界中のやばいムーブを、簡単に観ることが出来るようになったのだ。
さらに重要なのは、一B-BOYの最高のムーブというのは、大会で披露されるとは限らないということだ。
大体、人生最高のムーブというのは、練習中にふざけていた時に、まぐれで出来たりする。
僕も、練習中にまぐれで、世界クラスの技が出来たことがある。
が、これまでは、それを観たのは、一緒に練習していたチームメイトだけだった。
それが、YouTubeの登場によって、そのまぐれのムーブが、世界中の人に届けられるようになったのだ。
さらに、そういった世界中のB-BOY達がアップした、やばいムーブを集めて、『ヤバいムーブ特集』みたいな形で、まとめ動画を作る人達も現れた。
そんな動画を観て育った、最近の若手B-BOY達は、もはやとんでもないことになって来ている。
もう、人間に可能な限界の基準が、おかしなことになってしまってるのだ。
こういった流れで、ブレイクダンス先進国は今もなお、すごい勢いで進化を遂げている。
そして恐らく、ブレイクダンス先進国が、これまでに掛かった時間よりも短い時間で、ブレイクダンス後進国も同じレベルに追いついて来るだろう。
ということで、猫ひろし戦法が通じるのは、あと4年くらいじゃないかなあ、と思っているのだが。。
この4年間、また頑張って現役復帰してみようかなあ、、、。
と、ブレイクダンスのことを書き出すと、ついつい熱くなってしまい、かなりの長文になってしまった。