知らない方は意外に思うかもしれないが、インドは映画大国だ。
映画大国と言えば、真っ先に思い浮かべるのは、やはりアメリカだろう。
しかし実際には、制作本数においても、観客動員数においても、インド映画はアメリカ映画の約2倍だ。
それだけインド人は、映画が大好きなのだ。
(ちなみに、インドのムンバイ『旧ボンベイ』で作られる映画は、ハリウッド映画に対抗して、ボリウッド映画と呼ばれている)
インド映画と言えば、分かりやすいストーリーと、歌とダンスが特徴だ。
何となく見たことある方もいると思うが、大勢の男と、大勢の女で、ミュージカルのように歌って踊るシーンが、必ずのように入っている。(らしい。そんなにちゃんと全部観たことないので、よく知らないけど)
僕の部屋にはテレビがないので、自分の部屋で観ることは出来ないのだが、レストランなんかに行くと、たまにインド映画がついているので、なんとなく観ている。
で、今日レストランに行ったら、インド映画のダンスシーンが流れていたので観ていた。
そのときに思ったことなんだけど、
『はっきりいって、インド人のダンスってあんまり上手くないよなあ。。』
いやもちろん、映画に出てるくらいなので、上手いのは上手い。(んだろう。僕がやっていたダンスとはジャンルが違うので、正確に評価は出来ないが)
が、世界基準のプロのクオリティからすると、はっきりいって上手いとは言えない。
「じゃあ、世界基準のプロのクオリティからして、上手いと言えるのはどの国だ?」
と聞かれると、僕は間違いなく、韓国と答える。
以前にも書いたが、僕は昔ダンサーだったので、本物のダンサーのダンスの上手さを知っている。
ダンスをやったことない方からすると、日本のアイドルも普通に踊れてるように感じるかもしれないが、はっきりいって日本のアイドルのダンスと、本物のダンサーのダンスはレベルが違う。
その辺の喧嘩自慢と、プロの格闘家くらいの違いがあると思っていい。
本当にダンスを専門としているダンサー達の動きのキレは、人間とは思えないくらいのレベルなのだ。
そんな、本物のダンサーの実力を知っている僕の目から見ても、韓国のダンスはレベルが高い。
韓国では、アイドルグループのダンスでも、かなりクオリティが高い。
なぜそんなに韓国のダンスのレベルが高いのかというと、韓国は国をあげてダンス文化を後押ししているからだ。
ちょうど僕がダンスを始めた、2000年頃から、韓国ではダンスが盛んになって来ていた。
それから3~4年もしないうちに、韓国のダンスのレベルは、アメリカなんかのダンスのレベルを、あっさりと抜き去った。
他のジャンルについてはよく知らないが、少なくとも僕がやっていたブレイクダンスの分野においては、ここ10年くらい韓国が世界一のレベルを保っている。
他のジャンルのダンスを見てみても、やはり韓国のダンスは全体的にレベルが高いと感じる。
これはやはり、ダンス文化の盛り上がりにより、競技人口が増え、それが全体のレベルの底上げになっているのだろう。
このように、普通、ある分野が注目されれば、そこに人が集まり、全体的なレベルが底上げされて行くという現象が起こる、、、はずだ。
しかし、それを言うのであれば、インドのダンスのレベルだって高くなっていないとおかしい。
ましてや、インドには12億人もの人間がいるのだ。
その12億人の、映画好きな人たちが観る映画に、毎回ダンスシーンが出てくるのだ。
当然インドには、韓国よりも多くのダンサー人口がいるはずだ。
となれば当然、インドのダンスレベルも高くて不思議じゃないはずなのだが、、、不思議なことにインドのダンスのレベルはあまり高くない。
一体なぜだろうか、、?
そういえば、インドでクリケットを観ていたときにも、同じようなことを感じたことがある。
クリケットとは、野球に似たスポーツで、インドの国民的スポーツだ。
その人気は凄く、インドで生活していると、クリケットを観ない日はない、と言ってもいいくらいだ。
大体、街を歩けば、その辺の道ばたで少年達がクリケットをやっている。
さらに、レストラン等のテレビでは、結構な確率でクリケットのチャンネルになっている。
インドのテレビ番組は、100チャンネル以上、下手したら200チャンネル近くある。
その中でわざわざ、クリケットのチャンネルが選ばれているのだから、やはりかなり人気があるのだろう。
その人気スポーツ、クリケットのプロの試合を、テレビで観ていたときに思ったことだ。
僕は正直、クリケットは詳しくない。
はっきりいって、ルールも分からない。
なので、クリケットの上手い下手を判断出来る目は持っていない。
そんな奴の視点なので、その感覚が正しいのかどうかは分からない。
が、僕はインドのプロクリケット選手を観て、こう思った。
『こいつら、本当に上手いのか、、?』
僕は、なぜそう思ったのだろうか?
クリケットの上手い下手を、判断出来る目を持っていない僕が、インドのプロクリケット選手の実力に疑問を感じた理由。
それは、彼らから感じることが出来なかったからだ。
プロスポーツ選手から発せられる、プロ感というか、オーラのようなものが。
普通、プロスポーツ選手ともなれば、観るだけでプロ感のような、オーラを感じることが出来る。
それは、身のこなし方だったり、表情だったり、ユニフォームの着こなし方だったり、色んな所からにじみ出てくるものだ。
しかし、どうも彼らからは、そのオーラをあまり感じることが出来なかった。
だから僕は、彼らのクリケットの実力にも疑問を感じてしまったのだ。
ここまで考えて、さらに僕は思った。
『インド人って、プロスポーツのように、一段一段レベルを高めていくようなことが苦手なのではないだろうか?』
そこで僕は、インドのオリンピックのメダル数を調べてみた。
すると、面白いことが分かった。
インドの夏季オリンピック参加回数は、23回。
獲得メダル数は、26個。
人口は、中国に次いで世界二位の約12億人。
さて、このメダル数、果たしてどうなのだろうか。
他の国と比較してみよう。
まずは、人口世界一、約13億人の中国。
中国の夏季オリンピック参加回数は、9回。
獲得メダル数は、473個。
では、人口約1億2千万人の日本は?
日本の夏季オリンピック参加回数は、21回。
獲得メダル数は、398個。
ではもうちょっとマイナーな国いってみよう。
人口約750万人のブルガリア。
ブルガリアの夏季オリンピック参加回数は、19回。
獲得メダル数は、214個。
ちなみに、インドと同じメダル獲得数の国を発見した。
人口約900万人、アゼルバイジャン。
アゼルバイジャンの夏季オリンピック参加回数は、5回。
獲得メダル数は、26個。
もはや、名前も聞いたことない、という人もいるくらいの国と、インドは同じ獲得メダル数なのだ。
これを見る限り、インド人は何かを突き詰めてレベルを上げていく、というのが苦手なのではないか、と思えてくる。
そういえば以前、『セブンイヤーズ•イン•チベット』という映画に、興味深いシーンが出て来たのを思い出した。
『セブンイヤーズ•イン•チベット』は、オーストリアの登山家の自伝を描いた映画だ。
オーストリアの登山家ハラーは、チベットのある村で、英語を話せるチベット人の女性と出会う。
そしてハラーは、彼女の気を引こうと、
「自分はオーストリアの英雄であり、オリンピックにも出場したことがある。」
ということを話した。
しかし、そのことを聞いた、彼女の反応は、ハラーの想像とは全く違ったものだった。
彼女は、ハラーに対してこう言った。
「私の国では、競争に勝ってチャンピオンになったものが英雄ではありません。
自我を捨て去った者こそが英雄なのです。」
これはまさに、仏教的な思想だ。
古代インド哲学を源流とする仏教は、自我を捨て去り、解脱することを目的とする。(宗派によって違いはあるが)
インドをはじめとする、東洋的思想は、歴史は繰り返すと考える。
永遠に繰り返される輪廻から、抜け出すことこそが重要だと考える。
一方の西洋的思想では、歴史は階段のように、ステップアップしながら進化していくものだと考える。
進化した先には、完全なる神の世界が待っている。
それに辿り着くまで、一段一段上っていくことが重要だと考える。
現代の日本人は、アメリカにすっかり影響され、西洋的思想に染まってしまっている。
一段一段、階段を上るように、進化していくことが重要だと、僕らはついつい考えてしまう。
そんな色眼鏡を掛けているから、インド人のダンスや、プロスポーツ選手のオーラに、違和感を感じてしまったのかもしれない。
僕はまだ、インドに来て1ヶ月程度なので、インド人のことが、正直あまり理解出来ない。
しかし、仮にこのまま10年間くらいインドにいたとしても、彼らのことを理解出来そうにない。
そこにはもっと、根本的な思想の違いがあるような気がする。
『その違いは、一体どこから来ているのだろうか?』
長くなったが以上が、インドのテレビを見ていて、感じたこと、考えたことだ。